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私家版・遠野物語(2)



 五三 郭公と時鳥は昔有りし姉妹なり。郭公は姉なるがある時芋を掘りて焼き、そのまわりの堅き所を自ら食ひ、中の軟かなる所を妹に与へたりしを、妹は姉の食ふ分はいつさう旨かるべしと想ひて、包丁にてその姉を殺せしに、たちまちに鳥となり、ガンコ、ガンコと啼きて飛び去りぬ。ガンコは方言にて堅い所といふことなり。妹さてはよき所をのみおのれにくれしなりけりと思ひ、悔恨に堪へず、やがてまたこれも鳥になりて包丁かけたと啼きたりといふ。遠野にては時鳥のことを包丁かけと呼ぶ。盛岡辺にては時鳥はどちやへ飛んでたと啼くといふ。

 53 郭公は大体35㌢ほど、時鳥はそれより小さく27㌢くらい、どちらも胸に横縞の入った夏鳥であるから、姉妹兄弟にたとえられる話も多い。そんなわけで姉妹であったが、姉さんの郭公はある時芋を掘ってきた。渡りの夏鳥だからさつま芋や里芋よりじゃが芋だろう。妹に焼いてあげた。そして外側の堅い所は自分で食べ、中の柔らかいところを妹にあげた。しかし妹は、「くそー、きっと姉貴の食べてるほうが旨いに違いない」と思ったが一直線、包丁で姉さんを殺してしまった。すると姉はたちまち鳥に姿を変え、「ガンコ、ガンコ」と啼きながら飛び去った。ガンコは方言で堅い所ということ。妹はこの啼き声を聴いて、「ああ、そうだったの姉さんは、自分でまずい堅い所を食べ、中の柔らかく美味しいところをアタシにくれたんだ」と悟って悔やんでみたがあとの祭り。そして妹も悔恨に堪え切れずこれも鳥となって、「包丁かけた、包丁かけた」と啼きながら飛び去っていったという。郭公の鳴き声は名のごとく「カッコウ」時鳥は「テッペンカケタカ」とか「トッキョキョカキョク」とか聞こえる。遠野では「ホウチョウカケタ」盛岡あたりでは「ドチヤヘトンデタ」と啼いているという。
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[ 2015/05/29 18:01 ] 私家版・遠野物語 | TB(0) | CM(0)

私家版・遠野物語(1)



 八 黄昏に女や子供の家の外に出てゐる者はよく神隠しにあふことは他の国々と同じ。松崎村の寒戸といふ所の民家にて、若き娘梨の樹の下に草履をぬぎおきたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、ある日親類知音の人々その家に集まりてありし処へ、きわめて老いさらぼひてその女帰り来たれり。いかにして帰って来たかと問へば、人々に逢ひたかりしゆゑ帰りしなり。さらばまた行かんとて、ふたたび跡を留めず行き失せたり。その日は風の烈しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、けふはサムトの婆が帰って来さうな日なりといふ。
8.「ああいやだ、明治の世になったというに、あたしはこの遠い陸奥の国で、美味しいものも食べられず、綺麗なおべべも着ることなく、TVで嵐や8.6秒バズーカを見ることもなく、ただ老いさらばえて行くというの、ああ、やだやだ~」
 「娘さんや、ちょいと、そこの綺麗な娘さんや?」
 「綺麗な娘さんというと、アタシのこと?河童さん!」
 「おうおう、ほかに誰がいるというのですかいな?」
 「それで~(高ピー)河童があたしに何の用なの?」
 「いえね、綺麗な娘さん、あなたがこんなに美しいのに、あたら美貌をこんな陸奥のさびしいところで朽ち果てさせることもなかろうにと、花のお江戸は今日の東京、TVであろうとシネマであろうとフェイスブックやUチューブお望みならば世界までお好きなようにそのお手にと、わたしゃ薦めに来たんだが、どうです?一緒にお江戸東京花のパリロンドンどころかハリウッド、一緒に出かけてみませんか?」
 「もちのろんろん、すぐいくわ、待つわの紐などありゃ先手、してどうする道行は?」
 「河童なんぞの道行はこりゃけしからんあだ娘、ならば天狗の神隠し、草履をそろえてこの梨の、木の下なんぞにおきゃしゃんせ、それですべては納まりてあなたは神のみもとへと!」
 「ああ、こうしてだまされ三十年、なんで女衒の口車、苦界に沈みし女など、いかにこの世のはてなれど、あっても泣き世の三千世界、やっと年季は明けたとて、この身に残る何もなく、帰る家とて恥ずかしく・・・」
「そこにでてきたカッパさん、どうした婆さん困り顔?」
 「縁こそ在り屋のへの河童、私をお家に帰しとて、」
 「それはならずの後生様、なれど少しの間なら、どうせ身内は誰もいず、ただただ身のうちなげくなら、私はお世話をいたしましょう」
 こうして、世過ぎ身過ぎを誤ってしまった娘さんのなれのはても、心優しい故郷の河童さんのおかげで、ホンのちょっぴりとはいえ、生まれた家に帰ることができたという、心温まる遠野のお話でした。
[ 2015/05/26 14:10 ] 私家版・遠野物語 | TB(0) | CM(0)